これは necco Advent Calendar 2025 1日目の記事です。

2025年9月末でneccoは創業から9期を終え、2025年10月から10期を迎えました。2016年に私とデザイナーの今、いまは退任したエンジニアの3人で秋田県秋田市で起業しました。
当時私はまだ35歳でした。起業家としてはだいぶ年齢がいっていたかもしれませんが、自分のつくった会社がまさか10年目を迎えられるとは当時の私は考えてもいませんでした。創業してから、今日、明日、明後日、来週、今月末がただただ全力で、休みもあまりとらすひたすら働いていました。
創業した初年度の役員報酬は13万円。従業員のメンバーは20万円ほどのスタートでした。秋田だからこそ貯金をつぶしながらぎりぎり生きられました。運がいいことに創業2年目からはなんとか秋田で生きられるくらいの役員報酬を支払うことができ、メンバーも少しずつ増えてきて東京にもオフィスを出し、現在では秋田と東京の2拠点とリモートワークのメンバー15名で活動しています。
創業ストーリーは他の記事にゆずりますが、今日は「自分の仕事は本当に自分に向いているのか?」について少し考えてみました。
2025年のneccoはどうだったのか?
2025年のneccoは年初から退社が続き、2月、4月から3名が入社、5月からは1名が産休、8月にはフィンランド国籍のメンバーが入社、10月にはフォトグラファーが入社と、人の入れ替わりや変動が大きい1年でした。
正直にいうと2025年は年始から私個人はかなり疲弊しており、なんとか目の前の仕事をただ全力でやることに精一杯でした。ありとあらゆることが四方から飛び交い、ただ毎日を過ごすのにいっぱいでした。たまに会食などはしていましたが。
さて、人の入れ替わりがあるというのは、うまくいっていることとうまくいっていないことがたくさんあり、その責任はすべて私にあると考えていますが、そんな中でも多くの仕事をいただいており、第9期の売上高と純利益は過去最高を記録し経営としては結果を出すことができました。
お客さまのご依頼のおかげなのはもちろん、neccoのメンバーが頑張ってくれた結果がでたことはとても嬉しいです。
今年はまだ1ヶ月あり、ご依頼いただいたお仕事には精一杯取り組んでいますが、neccoとしてはあまり動けなかった1年となってしまいました。
2025年にneccoができなかったこと
メンバーのリソースや私の集中力や時間の使い方もよくなく(能力も足りてない…)、2025年はやりたかった多くのことが完成できませんでした。
- 制作実績を安定して毎月数件は公開する(出せずに溜まってしまっているものが多くあります)
- 自社サイトのリニューアル(部分的な改修は進めていますが、トップが完成できなかった)
- ダウンロード資料のリニューアル(最新の実績掲載などが追いつかず)
- 初回MTG資料のデザイン(中身は完成したがデザインの仕上げができず)
- neccoデザインシステムの完成(プロトタイプのサイトはできてきてるがデザインやコンポーネント制作がおいつかず)
- 箱猫ストアの売上向上、新商品の公開(発信は開始できたが成果をだせず)
- 東京オフィスの引っ越し(探しつづけて早3年)
- 秋田オフィスでの採用(動けず)
- ネコタイの毎月更新(2ヶ月に1度ほどに)
- インタビュー動画やYouTubeでのお客さまの声、対談動画の公開(私のやるやる詐欺)
- 隔週でのメンバーブログの更新(結局アドベントカレンダーをやることに…)
- 新入社員への勉強会や教育の充実、オンボーディングの改善(資料は準備できたが仕組みで解決できなかった)
- ディレクターの採用(動けず)
- 実績リール動画の公開(シナリオの全体像はできてきたが完成に至らず)
お客さまからのご依頼が最優先のため、自社関連の業務はすべてが後手にまわってしまい、全く完成せず非常に悔しい1年でした。
やりたいこと、あるべきことは頭にはあるけど、自分の手と能力、具現化だけはずっと追いつかない。焦燥感を常にもって毎日を過ごしていました。
本当に私の経営や采配、実行力の低さが露呈してしまった結果です。全部はできないのでひとつずつやるしかない!
2025年にできたこと挑戦したこと
かわりにできたことももちろんあります。
- 就労ビザを取得してフィンランド国籍メンバーの採用
- フォトグラファーの採用
- 時短勤務(10時から16時)メンバーの採用
- 過去最大の大型案件の提案制作と受注・契約(来年公開予定)
す、少ない。いやもっとやっていたはずなのですが、記憶が。もちろん主軸の制作業務をただひたすらにお客さまとメンバーと一丸となってすすめてきました。にしても挑戦ができなかった1年のように感じています。
挑戦ができなくて、頑張れなくて、完成できないから、すぐに上手くならないから自分は向いていないのか?
さて、長い前置きはここまでになります。2025年は焦燥感にかられた1年だったのは間違いありません。ですが、だとしたら自分は本当に今の仕事や経営者に向いていないのか。
休みも基本は働いているほど働いてますが、私も人間ですので落ち込んだり、やる気がでないことも多々あります。何かない限り祝日も土日も基本はお昼前にはオフィスに来るという謎のルールを自分に課してるのですが、オフィスにきたものの夕方までずっと寝てしまう。とかもあります。でもただ来る。というルールを実行する。
なにか少しでもできることをとにかく他の人がやってないであろう時間にやる。それだけがぎりぎり自分と経営を結ぶものなのかもしれません。
今年は何度も、もう本当に何度も、年始からもう少しだけ、あとひとつだけ踏ん張ったらいいのにと思うことが多くありました。自分に対しても人に対してもです。とにかく続けるのを辞めてしまう、作ることも諦めてしまう、途中でおわらせてしまう。など本人は気付けないけどもったいないな…と思うことばかりがありました。
それはチームから離れるとかそういう大きなこともあれば、デザインの1ページの作り込み、パーツの作り込み、文字に対して、実装や、課題、写真、動画などなど目の前の小さいことのひとつでも良くすることが見えずに諦めや妥協が滲んでしまう。
それは自分にも人にも。私も音楽ももっと作りたかった、写真も映像ももっとやれたはず、本もたくさん読めたはず、ダイエットももっと…と思うことばかりです。
ただ、あと一歩、もう一歩だけ越えたら次があるのに。そればかり思ってました。本人にはあまり言う事はしないのですが、ただ一人だけはっきり言いました。自分もやっていないのに人に言うか!という問題もあるのですが、本当にそれはきちんと伝えてよかった。今もぐんぐんデザインも伸びて、みるみる視野も広がっていると感じています。
でもだいたいは自分で決めて自分で判断を下す。もちろん最後はそれしかないので、外から何も言いようがないのです。
ただ、本当に向いていないのかどうかは実は自分ではわからないものな気がします。まわりのメンバーも同じような会社を経営している人も凄腕のデザイナーもエンジニアも、自分は向いてないかもしれない、才能がないかもしれない、みんな思っていると話していてよく感じます。
でも私が最近気付いたのは、自分が向いてないと思うこと、他人に向いてないと思われること、は全く信じなくていいんだと。唯一信じてもいいのは自分以外の人が喜んでくれて「あなたはこれは向いてるよ!才能あるよ!」と言われることは信じていい。
自分のことは自分ではなかなかわからない。まさにですね。
できなかった事実をただ受け入れる。そして次の手を打つ。その繰り返しでしかない。
自分が向いてないと思うときなにか外に答えを求めたくなったり辞めてしまうのも選択肢の一つですが、上記のように1年間なにもできなかったと感じている自分でもなんとか折れずに続けられました。1年どころではないです。もう起業して9年。9年で良いことも辛いこともたくさんありましたが、なんとかできたのはできなかった事実をただ受け入れる。そして次の手を打つ。その繰り返しでしかない。根性とかでなく、できなかった事実は変えられない。変えられるのは今この瞬間からしかない。
悩みをずっと持ち続けて行動できないときに共通しているのは、後悔し続けること、自分を責めること、環境のせいにしてしまうこと。できなかった事実を正面で受け止めず、今の自分がまず見えていないこと、受け入れないこととあわせて自分の理想だけは描いてしまったりする。
自分もそんなときがあったなと。でもある時を境にそれはやめました。できない事実や理想との差を埋めるにはまずはできてないことを受け止めて、次の一手を打つ。
時間軸を変える。半年でやろうとしていたことを1年に、2年にして考えてみる。
事実を受けとめてとにかく次の一手を打つの他によくつかっていた考え方に、時間軸を変える。というのがあります。いや、ありました。テキストで言語化したのがはじめてなので。
1年のうちにあれもこれもやらなきゃ、あーーーーできなかった。どうしたら?となるとパニックになりますが、冒頭のように1年ずっとできないことが多々あっても、1年でやるべきことではなかったんだ。それなら2年でもいいかもしれない?と、時間軸を変えてしまうのです。期限を伸ばすという意味ではなくて、そもそもできなかった事実は変えられない。つまりできなかった理由は必ずあるわけです。なので一度時間軸を変えてみると、2年だったら本当にできるかな?と考えることができたりします。(なんだそれw)
無理やりな考え方かもしれないのですが、ときに有効だったりするのですごく焦ったり、行き詰まっている人がいたらためしてみてください。1年でできなかったことが2年にしたら本当にできるのか?
私は冒頭の内容は時間があっても無理だなと思えたので、違う方法をとろうと思います。いくつかをやめる、一つしかやらない。など。全部はいくらお金や人がいても今はできない。と思えました。
わからないことをわからないまま続けてみる
AIなどの台頭、SNSやYouTubeなどの短くて細切れの情報などで知らないうちになんでも知っている、わかった気にさせられている、わからなくてもすぐに答えが出せる、探せる。と思っていたのかもしれません。
先日、夏井 瞬さんの写真を購入させていただきました。そうしたらご本人がneccoの中目黑オフィスにもってきてくれました。
写真集のお届けに中目黒へ。初めましてのneccoさん阿部さん。僕の偏った話をたくさん聞いてくださって(無理やり)、長居させていただきました。写真集をとてもじっくり見てくださったのが嬉しかった。綺麗な西日が差し込むオフィス、そして懐かしいこっち側の中目黒。
引用:夏井さんのXの投稿より

夏井さんは千葉県九十九里に2年間通い続け波を撮影し続けた写真集「WAVES」という写真集を出版されています。
中目黑に写真集をお持ちいただたときに2時間か、3時間ほどゆっくりお話をさせてもらいました。私はこの写真集がどのように作られたのか、どのような気持ちで毎日撮り続けたのか知りたい気持ちでいっぱいでした。
そのお話の中ですごく良いと思った言葉が下記です。
「自分にもこの写真集がまだなにかはわからない」。
意訳になるかもですが。2年も波を撮り続け、作品、写真集にまで仕上げた。それでも今も自分にはわからない。
写真集のコメントにもありますが、「自分は何がしたくてここに通い、何と対峙しているのか。」とあります。2年間寒い朝に、冬に波に入りながら撮り続けるなんて意味を考えたらできないように思います。できない、やらない理由も考えたら制限なくあげられると思います。
夏井さんとお話して、今はわからなくていい、わからないことをそのまま受け止めてみる、いつかわかる日がくるかもしれない。そう考えてもいいと思えたし、自分もずっとそうだったと思えました。
ただひたすらに失敗しても成功だと思えても続ける、何も考えずやってみる。そんな時間が自分の人生の中に数年あってもいいかもしれない。そう思えました。
答えはたぶんAIの中にはないし、誰かの中にもない、答えなんてないかもしれない。ないものをただ受け入れて進む。
そういう何にもなれない1年、夏井さんのようにただ波に入り続ける2年、僕のようにただただ何もできなかった9年目があってもいいのだと思います。9年たっても向いてない、18年ウェブの仕事やディレクターの仕事をやってもなんとかぎりぎりで納品できるプロジェクトもある。
いま、本当に自分がやろうとしていることは自分に向いてないと諦めて辞めてしまっていいのか?欲がなくてもただやり続ける、そういう1年が、わかりたくてもなにもわからなかった1年があってもいい。それが3年でも9年でも。
自分の今と理想とする自分の差が大きそうに見えても、見えなくてもただ続けてみると気づけば遠くにきている。
それがneccoの9年だったような気がします。来年1年は思い切りやり方を変えて進んで行こうと思います!

おわりに
なんだか言いたいことがよくわからない記事になってしまいました。これはこれでよしとしましょう。ここまで読んでいただきありがとうございました。
2025年もあと少し!みんなのブログもあまり更新できなかった1年になってしまっていました。一人最低4本ブログを書く、3ヶ月に一回だからかけると思っていたら、気づいたら年末になっていました。
最後の最後のあと一歩だけ踏ん張ってみんなで記事を更新していこうと思います。
おまけ:写真をみる会 vol.1を開催しました
前述の夏井 瞬さん、トム・イシカワさん、岡野 真也さん、こばやしくん(neccoのフォトグラファー)、私の5人でただ写真集をみる会をやりました。
これがよかった。勝手に私が決めたルールですが、みんなそれぞれ好きな写真集をもちよる、飲み食いは基本禁止。飲み物はペットボトルのみ。という謎のルールでやったのですがこれがよかった。岡野さんのご都合もありましたがきっちり3時間。
写真をみて、写真の話をして感じていることがみんなからそれぞれ少しずつ出てくる。自分の見たことがない写真をみれる良い機会になりました。写真をもっと撮りたいなと純粋な気持ちが強くわいてきました。

















写真撮影と現像はneccoのフォトグラファー小林くん