necco Note
necco代表阿部の経歴、会社をつくろうと思ったきっかけ、会社をつくってからいちばん苦労したことなどを書いてみました。
- Brand Design
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neccoの代表取締役、クリエイティブディレクター / デザインエンジニアをやってる阿部(@abefumito)です。
雑用全般も経理も私の仕事ですが、なんでもやっているようで、もしかしたら何もできていないかもしれません。(6月から経理メンバーに入っていただいて大変助かってます。)
肩書的には代表取締役ということになっていますので、世間でいう「社長」「経営者」ですが、正直なところまったく「社長」「経営者」という言葉がしっくりきてません。
経理も自分ではなかなかはかどらないし、いまはなんとか毎月やり過ごすだけで精一杯です。
そんなこと言うとメンバーを不安にさせてしまうかもしれませんが、私の経営レベルなんてまだ明らかに発展途上です。
自分のがんばりがあるからというよりは、他のメンバーがいるからなんとか日々成り立っています。
いまも、これからも、ご依頼いただくお客さまのビジネスがより良くなるブランディングデザインや、ウェブサイト、ウェブシステムを制作していきたいと思います。
neccoは2016年10月11日に創業しました。デジタルっぽいので2進数で1011になる日付を選び、十進数では11になるので、私が小学生から高校生までずっと続けてきたサッカーのチーム人数である11、スタートの1、それぞれ個々が一人で立って2桁の数字になる。など考えていたことはあります。
このように、あとでそれっぽい意味を付与したり、きちんとストーリーを作って話しやすくすることなども重要な仕事だと思ってます。
2019年6月で、創業から2年8か月が過ぎました。あっというまです。登記した日がなつかしい。この日に拾っていまも私と暮らしている猫、あんずが定款を踏みつけてます。笑
さて、いまいるメンバーやこれからneccoで働いてくれるかもしれない未来のメンバー、制作の依頼をご検討されている方々などに少しでも何かお伝えできればと思い、この記事を書いています。
私がTwitterやnoteでいつも勉強させていただいてる編集者の竹村さん(@tshun423)がとても良い記事を書いていらっしゃったので、思いっきり参考にして書きます。
広報やスモールビジネス、スタートアップをやってる方にはとても良い内容ですので、一読をおすすめします。
■目次
- 0.necco阿部の経歴まとめ
- 1.neccoをつくろうと思ったきっかけ
- 2.neccoをつくってからいちばん苦労したこと
- 3.軌道に乗ったブレイクスルーなできごと
- 4.CaTの誕生秘話
- 5.これからこういう世界を実現させたい
0.私の経歴まとめ
2000年:東京都立小松川高校を卒業(都立では進学校かなと思いますが、友人の中で私だけ進学しませんでした。バンド活動に夢中でした。)
同2000年:東京都江戸川区の平井駅近く(なぜか母校のそば)で、屋根裏部屋みたいな家で一人暮らしを開始。
音楽制作と錦糸町の神戸屋キッチン→エクセルシオールカフェで朝6時から夜19時までアルバイトに明け暮れます。
大学に進学せず浪人もしなかったのは、バンド活動をしていて音楽をつくったり、ライブハウス出演などをしていたためです。
ありがちですが、バンドメンバーとうまくいかなくなり数年後解散しました。
大学は行きたかったところがあったのですが、補欠で落ちてしまったので、勉強はあまり向いてないかも…と思い断念しました。
ひたすらアルバイトをして、Mac G5や、録音機材のミキサーやオーディオインターフェイス(DIGI002 Mixer)、スピーカー(FOSTEX MF01R)、エレキギターのFender USA Jazzmaster Sunburst、アコースティックギターのStafford SAD-1999や、マイク(ダイナミック、コンデンサーなどたくさん)、ELECTRIC GROUND PianoのYAMAHA-CP70、シンセサイザーなどを買いあさってました。
あのころはMr.Children、スーパーカーやくるり、My Bloody Valentine、Bjork、OASIS、Blur, Radioheadなどにとにかく夢中でした。
録音が楽しくて、機材がかっこよくて、同じものを買うと同じくらい素晴らしい音楽が作れると思っていましたが、音楽をつくるのは機材でなく人間で、作る時間を作らなければ音楽が生まれないのを痛いほど日々痛感して、もどかしい時間を何年もすごしました。
機材がほしいから働く、働くと音楽が作れない、という矛盾と戦いながら次第に仕事が主となっていきました。
そんなこんなで2004年には派遣業で大手家電量販店の販売員になります。西新宿でひたすら3年間、液晶テレビ黎明期から売り続けました。
その後は、渋谷のオフィス仲介業で不動産営業を経験。そこで出会った人と第一回目の起業をしますが、自分の実力の無さや理解力不足で半年で辞めたあと、外国人専用のゲストハウスやホテルを運営する会社に転職し、多言語サイトのディレクションや多言語でのウェブマーケティング、グループ会社のレンタルオフィスのサイト、食品のECサイトや、飲食店のサイトなどの運営やマーケティングを経験しました。そこに勤めながら、親友と第二回目の起業。ウェブサイト制作の受託の会社だったのですが、この会社を副業にしてしまい苦戦。二人とも本業があり、業務に手が回らなくなってしまいました。自分のせいだと思います。
第二回目の起業時に世田谷区用賀に借りていたオフィス
その後は、英語が必要だと思っていたので、30歳にして単独でアメリカのカリフォルニア州のサンフランシスコに語学留学しました。
なけなしのお金でひたすら食いつなぎ、気づいたら3ヶ月の予定が1年ほどいることになります。日本で決めて入学した学校を3ヶ月でやめ、早々に安い学校に変えたりなどしました。ホームステイ先の家賃を安くするため、ホストマザーのお手伝いもしました。
アメリカに1年もいると、本当にいろいろな思い出があります。突然高熱が出て救急病院に運ばれて、青い液体の太い注射をうたれて一瞬で治ったり、レンタカーでライトを点け忘れてて捕まったり、運がいいことにFacebookやGoogleのオフィスに入れたり、Appleに行けたり、ナパバレーのワイントレイン、スタンフォード、UCバークレイ、ヨセミテ、ラスベガス、グランドキャニオンなどにも行きました。
それ以来8年は行ってないのでいまはわかりませんが、サンフランシスコはとても良いところです。
アメリカでは世界中に友人ができたことが、何よりの財産です。
密に連絡とる人は減りましたが、現地で仲良くなったサンフランシスコの友人から「子供が生まれたよ〜」などの連絡がありました。もう一人の友人からは、カナダで結婚式をあげると連絡があり、トロントでユダヤ式の結婚式にたった一人の日本人として参加しました。
英語は全く堪能ではないのですが、ビールと笑顔と勇気があればなんとかなります。
たくさん写真がありますが、思い出話ばかりになりそうなのでこのあたりでやめておきます。
日本に戻ってから、秋田で制作会社に3年勤めたのちに起業することになります。なぜ秋田なのか?はビール片手に話しましょう〜!!
1.neccoという会社をつくろうと思ったきっかけ
neccoという会社は、秋田に来てはじめて勤めた会社で出会った優秀なデザイナー今(こん)とエンジニアの森下の3名で創業しました。その後にエディター・フォトグラファーとして夏井が参加してくれて、マーケティングからブランディングデザイン、ウェブサイト制作やウェブシステム制作まで一貫して対応できる体制となりました。
これまで、起業でうまくいかない経験を何度かしてきましたが「いつかまた自分できちんとできるタイミングか来る」「メンバーが集まってくれる」と信じて、デザインやエンジニアリングなどの勉強を続けてきたことが大きかったと思います。
2.neccoという会社をつくってからいちばん苦労したこと
経理やキャシュフロー、税金の支払いなどはいまでも苦労しています。
銀行の借り入れが0で助成金などももらってないので良くないのかもしれませんが、資金繰りはやはり非常にプレッシャーがあります。世の中の経営者は本当にすごいです。とても尊敬しています。
3.軌道に乗ったブレイクスルーなできごと
まだまだブレイクスルーはしていませんが、会社としてやっていけるかもしれないと思ったのは、制作したものが評価されて、お客さまに喜んでもらえたり、次のお客さまから声がかかったときです。
neccoでは営業活動などはしていませんし、営業するメンバーもいません。お声がけいただいたお客さまのみ、お仕事をさせていただいています。本当にありがとうございます。
特に創業時は実績も全くない状態でしたが、知り合いやさまざまな方からお仕事の依頼をいただき、会社としてなんとか立ち上がることができました。
それがなければオフィスも当分借りれない状態でしたし、メンバーにも毎月お金を払っていけるか不安しかありませんでしたが、ご依頼いただいたお客さまのおかげでなんとか2年以上続けることができています。
4.商品やサービスの誕生秘話
neccoでは「CaT」というセミナーイベントを開催しています。
このイベントのおかげで日本全国の方々と繋がりができ、会社経営を続ける意義を教えてくれた気がしています。
CaTは、CSS Niteを主催する鷹野さんからアドバイスをたくさんいただき立ち上げることができました。
デザイナーやエンジニア、それを志望する社会人や学生向けの、東北では非常に珍しいイベントです。
何かのサービスやアプリケーション、既存ブランドを軸としたイベントやミートアップなどを行うだけでも良いですが、無名のイベントを自分たちで一から立ち上げ、育てていくことに価値があると思い、始めました。福岡や名古屋、札幌など地方にも独立したイベントがあるので、そちらも参考にしています。
また、neccoはブランディングデザイン会社と銘打っていることもあり、自分たちでやることを自らブランディングデザインする必要があると考え開催に至りました。
私自身、猫が大好きなので、イベントのキャラクターは猫に。そして、基本的にはデザイナー向けで女性も参加しやすいイベントにしたい。
そんな思いからキャラクターや名称、デザインが生まれています。
夏に行われるVue.js会ではTシャツ付きのチケットがあるのですが、これも大変人気でうれしいかぎりです。
5.これからこういう世界を実現させたい
こんな世界にしたい。世界を変えたい。みたいなものは正直なところありません。
デザインとアート、エンジニアリングが大好きなので、これをかけ合わせて、泥臭く、面白い、何か引っかかりのある、そして成果を獲得できるものを仲間とともに作れたらと思っています。
毎回本気で良いものを制約の中で作り、お客さまとそのお客さまが喜んでくれて、かつ作ったメンバーも喜んでくれて、涙を流したりできるくらい真剣に向き合えたら。それが一番実現させたい僕の小さな夢です。
大人になって悔しくて泣いたり、感動して泣くことはもうないかもしれない。仲間を厳しく指摘したり、されたりするかもしれない。でもその先のたった一瞬、やって良かった。やりきって良かったと思える時のために、挑戦できる組織、チームでありたいです。
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(2024年11月時点)
阿部 文人
Fumito Abe
東京都生まれ。オフィス仲介、外国人専用ゲストハウスなどの不動産業界にて自社ブランデング・ウェブマーケティングに従事。ウェブサイトの解析、広告運用、多言語サイトの制作を経験。その後、サンフランシスコにて語学留学を兼ね1年渡米。現地企業ECサイトの企画からCMS開発、デザイン制作なども担当。帰国後、2013年9月より秋田県内企業にてWordPressを中心にウェブサイトを多数構築。 2016年10月秋田県秋田市にて株式会社neccoを設立。WordCamp Kyoto 2017・WordCamp Osaka 2018・各地のJP_Stripes・JP_Stripes Connect 2019、CSS Nite LP64の登壇やAlexa Day2018・2019の運営など社外でも積極的に活動中。 好きなものは猫、読書、建築、Apple。2匹の猫と仲良く暮らしています。